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TeXi’s第二回本公演

「Aventure」に寄せ

​大人になれない大人たちへ/冷や水を浴びせる」

評:﨑健太(y/n)

 

TeXi'sの前作『水に満ちたサバクでトンネルをつくる』と今作『Aventure』にはいくつかの共通点がある。まずはそこからはじめたい。

一つ目の共通点は大人が子供を演じているということ。前作では保育園児、今作では小学生という違いこそあるものの、大人が子供を演じるという手法は今作でも踏襲されている。いかにも子供めいた、無邪気というよりは欲望に忠実で自己中心的な子供を演じる大人たちの身ぶりは不気味で、その姿に嫌悪感を覚える観客も多いだろう。私もその一人だ。提示される世界観の完成度の高さも相まって、そこには作り手のフェティシズムの気配を感じなくもない。趣味が分かれるところだと言いたくもなるのだが、しかしこれは単なる趣向ではない。TeXi'sの作品において、大人が子供を演じることは、大人社会の規範が子供たちの言動をも規定していることの暴力性を、翻って、成人してなおそうして形づくられた規範を何の疑問も抱くことなく再生産し続けようとする大人たちの未成熟を撃つための演劇的な仕掛けとして機能しているのだ。

二つ目の共通点は東日本大震災の記憶が物語の背後に横たわっていること。もっと正確に言えば、東日本大震災以降の世界での生が描かれていることだ。喪失の気配が全編を覆う『水に満ちたサバクでトンネルをつくる』では、終盤に至ってほとんどあからさまに東日本大震災の記憶が呼び込まれ、喪失が震災に由来するものだったことが明らかになる。一方『Aventure』では、喪失の気配こそ『水に満ちたサバクでトンネルをつくる』と共通するものの、震災への直接的な言及はない。だが、「だってもう、11年たったんだよ。それは長い時間じゃない?」という言葉は、それが2022年に発せられたものであることを踏まえれば、東日本大震災への言及であることは明らかだ。しかもこの言葉は「もう5年生って大人だって思わない?」という問いからはじまるやりとりのなかで発せられる。ならばそれは「あれから11年が経ち、私たちの社会は成熟することができているのか」を問うたものとして聞かれるべきだろう。

 

『Aventure』という作品は、表面的には小学生が登校して下校するまでの1日を描いている。あるいはそれは異なる複数の日のコラージュなのかもしれないが、いずれにせよ劇中で何か大きな出来事が起きるわけではない。だが、そこでは小さな摩擦が起き続け、ほとんど常に不穏な気配が漂っている。それらの多くは、ほとんど呪いのように未だ日本社会を縛り続ける、シスヘテロ男性中心の価値観に端を発しているように思われる。

ところで、『Aventure』はマッチョの権化とでも言うべき三島由紀夫の『金閣寺』に多くを負っている。シスヘテロ男性中心の価値観に強く規定された『金閣寺』という物語を利用してその根底にある価値観を揺さぶろうとする戦略は巧妙だ。作中では『金閣寺』の設定や言葉がたびたび引用されるのだが(しかしそのことは明示されない)、その言葉から類推される話し手の性別と、それを発している俳優の外見から一般的に類推されるであろう性別とは、しばしば一致していない。規範としての男女のあり方の混乱は、そこに自明のものとしてあったはずの力関係を、加害と被害を、異性愛と同性愛を、シスヘテロ男性中心の価値観を揺さぶることになるだろう。

あるいは、そのような性別の不一致は、『金閣寺』の主人公の青年・溝口において内面の表出を阻害するものとしてあった「吃り」の問題を、性自認と出生時に割り当てられた性とが一致しないトランジェンダーのそれへと置き換えたものでもあったかもしれない。溝口の言葉を発する古川路の「だって僕はいない人だから」という言葉や、投げかけられる「普通とは違う」という言葉はそのことを示唆するようでもある。

女性、同性愛者、トランスジェンダー。『Aventure』は日本社会が虐げあるいは排除しようとしてきた人々へと向ける力の不条理さと暴力性を演劇的な仕掛けを通して可視化する。溝口は、太平洋戦争と敗戦を経て変わり果てた日本に対し、変わらずそこにあり続ける金閣寺を永遠の美の象徴と見なし、愛憎の果てに火を放ったのだった。『Aventure』で放たれるのは火でなく水鉄砲の飛沫なのだが、その向けられた先にあるのは「美しい国、日本」を支える価値観だろう。

『金閣寺』で繰り返し問われる、世界を変えるのは行為か認識かという二択になぞらえれば、TeXi'sは俳優の行為によって観客の認識を塗り替えることで世界を変えようとしている。予期せぬかたちで変わってしまう世界と、一方でそれでもなお変わらずにあり続ける世界。火を放つでも銃弾を撃ち込むでもなく、児戯のようにして放たれる冷や水は、いい加減に目を覚ませと言わんばかりだ。

評:山﨑健太(y/n)

1983年生まれ。批評家、ドラマトゥルク。演劇批評誌『紙背』編集長。WEBマガジンartscapeでショートレビューを連載。他に「現代日本演劇のSF的諸相」(『S-Fマガジン』(早川書房)、2014年2月〜2017年2月)など。2019年からは演出家・俳優の橋本清とともにy/nとして舞台作品を発表。主な作品に『カミングアウトレッスン』(2020)、『セックス/ワーク/アート』(2021)、『あなたのように騙されない』(2021)。

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